あの地震が起こったとき

俺は
布団に隣接している棚の上に置かれている
ステレオの直撃を前頭部に受け
そのまま明るくなるまで失神していました。

妹によれば
その時俺の部屋から

う”あ”

といううめき声が一つ聞こえたかと思うと
それっきり静まり返ってしまったので

兄はもうダメだ

などと考えてしまったようです。

いや、勝手に殺すな肉親を簡単に諦めるな

しかし
おそらく神戸の方では
うめき声すらあげることなく
塵芥の中にその命を埋めていった人も
多数おられたことでしょう。

その時には命助かったとはいえ
倒壊した建物の中に閉じ込められ
身動きもとれずに
余震続く中
じわじわと押し潰されていった方
寒さに温かさを削り取られてしまった方
倒壊の折に受けた傷がもとで亡くなられた方
多数おられたでしょう。

神戸市の兵庫区に住んでいた友達は
当時を振り返りこう言います。

「正に地獄だった。
 生き残った者は無力感と寒さに呆然とし
 その中で
 強い者は弱い者から奪い
 そもそも
 自分たちの身の上に何が起こったのか
 混乱に混乱が塗り込められていくような
 そんな毎日の中を
 ただ生き延びていたような気がする。」

倒壊を免れた家屋を補強するボランティアとして
震災発生後に現地を訪れた時に見た
真ん中より下あたりから折れて
横に倒れていたビルに
人間の営みの儚さというものを
実感せずにはいられませんでした。

いつまたどこで起こるとも知れぬ大地震
いや、天災全てにおいて言えることですが
ではそれが我々に示すのが
そのような儚さ・無力さだけなのかというと
そうでは無いでしょう。

もちろん
多くの命は失われ
二度と帰らぬことは確かなのですが
そこに生き残った人たち
現地に集い復興に力を貸した人たち
そんなふうに
あのとき
日本中の様々な人の思いが
繋がっていたことも
確かだと思うのです。

人は
そんなふうに
つながりを作っていける
動物なのだ
ということも
強く実感できたのです。

こう書くと
陳腐な物言いに思えちゃうけど
これがあのとき感じたことの全てです。

強烈な儚さ・無力感
命・つながりの温かさ

相反する二つの感覚が
今も猶
当時のまま
ありありと俺の中に残っているのを
感じます。
 
 

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