彼は物言わぬ姿で発見されたようだ。かの空の下で。

自分の中の欲求や衝動に素直すぎる彼自身の招いた結果であるから
その死を悼む気持ちはほぼ無いに等しいんだけど
彼が自らの死に際した時に感じたであろう後悔や恐怖に
えもいわれぬほどのリアリティを感じ、そのことがひどくショックだった。
 
やりきれない気持ちというものも、もちろん心の中にはあって
きっと近しい人々が感じる遣る瀬無さというのは
俺が感じているものよりも理不尽なくらいに強く
長いことその人たちを縛り続けるのだろうな、とも思う。

遺された人々にそんな気持ちを起こさせる
彼の身勝手な行動に対する怒りすら沸き上がってくるほどだ。

俺にとってこの出来事は一つのケーススタディであるといえる。
身勝手な行動が引き起こした死と、その周辺にいる人たちに残る思い。
そのモデルケースとして自分の中では昇華されたように思う。

メディア越しの、かなり希釈された経験ではあるが
その波が揺り動かした気持ちというものをしっかりと見つめなければ
風が通りすぎてしまうように後には何も残らないだろう。

人同士は、否応なく、結びついているものなのだ。
彼にはそれを悔いる瞬間があったのだろうか?
 
 

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