せんそうにいったひとたち / でんわごしのしせん (Re Kansai 5日目)
2004年7月10日 日常ブラザーフッドを観てきた。
戦争の前線に否応無しに送りこまれていった人々の間で
一体何が起こったのか
それがよく描かれていたように思う。
朝鮮戦争は異なるイデオロギーの勢力争いに端を発する。
言わば思想の代替戦争だ。
ある日自分たちの頭上に突如として現れた影に
煽動されるがまま戦場に馳せ参じていく
その不安、その混乱、何と頼りない自我。
それでも戦場で出会う相手を薙ぎ倒しながら日を生き延びていく。
ああ、こういうのもあるんだろうな、前線の空気には。
そういえば日本はあの時期
特需だとかで大いに湧いたんだっけか。
日本ってつくづく朝鮮半島の人々をだしにしながら
大きくなってきた国なんだなって、今更ながら痛感した。
ところで。
国民・市民というのは、政治的な局面から捉えると
「単なる資源」でしかないのかもしれない。
大きな潮流に飲まれて真っ先に散り散りになるのは
いつだってそういった立場の人であるからだ。
でもきっと
俺があんな立場に置かれたら
四の五の言わずに相手を蹴散らす(蹴散らされる)側に回るんだろうな。
同属的なヒューマニズムしか展開し得ない無い地平で
広範なヒューマニズムを叫ぶことが
果たして俺にできるだろうか。
いや、ヒューマニズムが失われつつある場で叫ばれないと
ヒューマニズムってのは本来の意味をなさないんだろうとも思うけど。
しっかしアレだね。
ああいう映画を見ると
ハリウッドの大作映画の薄っぺらさに痛いほど気付かされるね。
20世紀FOXのデイアフターアレなんて
どこか遠いところで鳴っている
選ばれた人たちのための楽曲が
ふとした拍子に聞こえてきた
みたいな趣しか感じなかったしな。
ま、捉え方は人それぞれなんだろうけど。
しかしまぁ
ブラザーフッドの配給元がユニバーサルってのは
どんな皮肉なんだろうか?なーんてな。
--------------------------------------------------------
知り合いの勧めもあって
電話鑑定なるものを試してみた。
霊能を持つ人と電話をする中で
自分の行く末を垣間見るという趣向だ。
鑑定料金は1分○○円の世界で
観てもらう先生によって上下するらしい。
事務局に電話をかけ、先生を紹介してもらう。
本来ならばコレクトコールで先生側から電話がかかってくるのだが
今回はこちらからかけさせてもらうという形をとった。
先生は開口一番
「あなたの後ろにいるおじいちゃんが今…」
なーんてことは決して言わなかったんだけど
会話の中に何度も
「すぐ投げ遣りになっちゃだめだよ」
という言葉が挿入されていたので
うん、この人は俺の本質をよく捉えてらっしゃる
と思ったものだ。
諌めるのでもなく
言い切るのでもなく
曖昧さは曖昧さのまま残しながら
すーっと見えそうで見えなさそうな
しかし確実に映える色をキャンバスに乗せていく作業のような
そんな会話だった。
これはアレだね
テレクラというかそういった趣のある商売だね。
ついつい引き込まれて会話の分数が伸びる人もいるだろうな。
いずれにせよ、占いや観相術などは
占者の言葉の曖昧さの中に被験者が確かなものを見出す
あるいは思い込むことで成り立つという節もあるだろう。
俺はそういうもの全てを在り難がるわけではないけど
そこから必ず何かを汲み出せるであろうと思う人間なので
今回は今回で有意義なものを感じた気がするのだ。
うむ、今はそれでいい。
戦争の前線に否応無しに送りこまれていった人々の間で
一体何が起こったのか
それがよく描かれていたように思う。
朝鮮戦争は異なるイデオロギーの勢力争いに端を発する。
言わば思想の代替戦争だ。
ある日自分たちの頭上に突如として現れた影に
煽動されるがまま戦場に馳せ参じていく
その不安、その混乱、何と頼りない自我。
それでも戦場で出会う相手を薙ぎ倒しながら日を生き延びていく。
ああ、こういうのもあるんだろうな、前線の空気には。
そういえば日本はあの時期
特需だとかで大いに湧いたんだっけか。
日本ってつくづく朝鮮半島の人々をだしにしながら
大きくなってきた国なんだなって、今更ながら痛感した。
ところで。
国民・市民というのは、政治的な局面から捉えると
「単なる資源」でしかないのかもしれない。
大きな潮流に飲まれて真っ先に散り散りになるのは
いつだってそういった立場の人であるからだ。
でもきっと
俺があんな立場に置かれたら
四の五の言わずに相手を蹴散らす(蹴散らされる)側に回るんだろうな。
同属的なヒューマニズムしか展開し得ない無い地平で
広範なヒューマニズムを叫ぶことが
果たして俺にできるだろうか。
いや、ヒューマニズムが失われつつある場で叫ばれないと
ヒューマニズムってのは本来の意味をなさないんだろうとも思うけど。
しっかしアレだね。
ああいう映画を見ると
ハリウッドの大作映画の薄っぺらさに痛いほど気付かされるね。
20世紀FOXのデイアフターアレなんて
どこか遠いところで鳴っている
選ばれた人たちのための楽曲が
ふとした拍子に聞こえてきた
みたいな趣しか感じなかったしな。
ま、捉え方は人それぞれなんだろうけど。
しかしまぁ
ブラザーフッドの配給元がユニバーサルってのは
どんな皮肉なんだろうか?なーんてな。
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知り合いの勧めもあって
電話鑑定なるものを試してみた。
霊能を持つ人と電話をする中で
自分の行く末を垣間見るという趣向だ。
鑑定料金は1分○○円の世界で
観てもらう先生によって上下するらしい。
事務局に電話をかけ、先生を紹介してもらう。
本来ならばコレクトコールで先生側から電話がかかってくるのだが
今回はこちらからかけさせてもらうという形をとった。
先生は開口一番
「あなたの後ろにいるおじいちゃんが今…」
なーんてことは決して言わなかったんだけど
会話の中に何度も
「すぐ投げ遣りになっちゃだめだよ」
という言葉が挿入されていたので
うん、この人は俺の本質をよく捉えてらっしゃる
と思ったものだ。
諌めるのでもなく
言い切るのでもなく
曖昧さは曖昧さのまま残しながら
すーっと見えそうで見えなさそうな
しかし確実に映える色をキャンバスに乗せていく作業のような
そんな会話だった。
これはアレだね
テレクラというかそういった趣のある商売だね。
ついつい引き込まれて会話の分数が伸びる人もいるだろうな。
いずれにせよ、占いや観相術などは
占者の言葉の曖昧さの中に被験者が確かなものを見出す
あるいは思い込むことで成り立つという節もあるだろう。
俺はそういうもの全てを在り難がるわけではないけど
そこから必ず何かを汲み出せるであろうと思う人間なので
今回は今回で有意義なものを感じた気がするのだ。
うむ、今はそれでいい。
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