matrix

2004年5月19日 視嬲
 
 
 
母体とか子宮って意味もあるんだなと今日知った→matrix
 
 
 
 
物語って作者がそこにどんな意味を埋め込んでいようとも
 
最終的には受け手がそこから自分なりに
 
何らかの意味を汲み取ってナンボのものなんだろうなと。
 
あー、これは俺が何らかの物語に向かう際のスタンスです。
 
これが絶対的に正しい向き合い方ってわけでは無いし
 
このスタンスを取ることによって著しくミスリードすることも出てくると思う。
 
「自分がそこから何を得られるか」とゆー
 
ちょっと利己的すぎる視点かもしんないことを先に断っておく。
 
さておき、
 
この映画って
 
個人の能動的な選択
 
というものを中心付近に据えて語られてきた節があるように俺は感じる。
 
選択することで生じる次の展開
 
その展開が突き付ける新たな選択
 
「始まりがあるものには全て終わりがある」
 
というあの言い回しは
 
そんな文脈で捉えると結構はっきりした意味としても捉えられるんじゃなかろうか。
 
その言葉が指すのは単なる term ってわけじゃないけど
 
選択を喚起した原因と
 
選択がもたらした結果
 
という一区間なんじゃないかと。
 
だからこの物語は
 
全ての人々に投げかけられた物語なんじゃなかろうかと。
 
一番最後のシーンでアーキテクチャーがオラクルに言った台詞
 
[全ての人を否応無しに(matrixから)解放するわけじゃなく
 
          事実を見せた上で各々の選択に委ねる]
 
という意図がそこに見えたような気がした。
 
自らの選択の幅を意識せよ、と
 
そして
 
その中から能動的に選択せよ、と
 
選択を迫られる原因というのは時として否応無く突き付けられるものでもある
 
そんな現実の中で貴方はどんな選択をしていくのか
 
貴方はどう生きるのか
 
そんな問題提起としてあの物語を捉えることもできんじゃねーかな
 
と考えている俺@疲れ気味27歳。
 
 
ちうかよ
 
あんだけの技術力持ってるならよ
 
人間を発電に利用せずともよ
 
暗雲取っ払って太陽光発電するくらいのよ
 
設備作れたんじゃねぇのかよ、どうなんだマシンシティよ?
 
とか突っ込みも入れたくなる今日この頃ですが
 
それはまた別のハナシとゆーことで。 
 

 

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